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「自然」と「人工」の境界線を消すと見えてくるもの

フィルム写真

竜の巣を突き抜けて、パズーとシータがはじめて天空の城ラピュタを目にしたとき、彼らは何に驚いたのか?

それは、巨大な人工建造物が空中に浮かんでいることなのか、それとも人工物を飲み込むほどに生茂った巨大樹の存在になのか。 彼らの胸の内は分りませんが、ぼくは後者。初見のときの感想はそれだったと思います。

そこでは「自然の力の前に人類は無力だな」と思うのですが、続けて「そう思いたい自分もいるのだな」とも。 そして、そう考えてしまうのは「自然」と「人工」の間に明確な境界線を決めている自分がいるのだと、決めたい自分がいるからだと思っています。

「自然」と「人工」は違うもの。「人工物」は人にしか作れない物。自然の摂理から抜出し、広い知識と深い思考を手に入れた『ヒト』という種にしか作れないもの。 そんな考えは人の自尊心のようなもので、おそらく、その想いもヒトが進化の過程で獲得した「生存に有利な能力」なんだと思います。

つまり、人は「自然」と「人工」の境界線を明確にしていないと生きづらく、自分たちは特別な存在で、その営みは「自然」とは別な道を歩んでいる、と思いたいのかと。 それ無しで生きていけるほど、ヒトは強くないのかも知れません。

ですので、いつもどこかで「自然」と「人工」の対比を考えてしまいがち。

誤解をおそれずに言えば、ぼくは東京の高層ビル群も自然な風景だと思っています。 むしろ、究極の自然風景だと。荒涼とした深い谷や、生茂った原生林の風景が、長い年月の果てに生まれた自然な景色ならば、人の住む無機質な街も同じようにして生まれた景色だと。 風化や浸食、植物の繁茂などと同じように、人の活動も例外なく自然現象の一部だと思うのです。

見慣れた街もそんな視点で見渡せば、良い被写体で溢れていることに気付きます。

ほんと写真はおもしろいです。

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カテゴリ: 写真 | 筆者: kenji | 投稿日: 2017/09/11

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