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抽象的なアートを写実的に説明できる必要性

フィルム写真

上の写真は奈良県の大台ケ原で撮ったもの。

ハイキングコースを進み、辿り着いた場所は「正木ヶ原」。 そこは、この日の目的地。大阪からは近いと思っていたけど、ここに辿り着くまでは、車中での仮眠も含めて長い時間が必要でした。

そこで撮った写真も、苦労の分だけお気に入りの一枚というわけです。

写真リンク: Protection l 67 PHOTO


過去の大型台風の影響で、ここの森は立ち枯れたそうです。

ただ、台風という自然現象だけが原因ではなく、そこには「大台ヶ原ドライブウェイ」の開通による人的な影響もあったと言われています。 結果として笹が繁茂し、それがシカの増加に繋がり、新しい針葉樹の実生や樹皮も食べてしまい、結局、木は育たず。 そのため、背の低い針葉樹には「防鹿柵」が施されているというわけです。

多くの人がこの写真から「メッセージ」を読み取ろうとしたとき、それはきっと「自然保護」に行きつくのだろうなと。 もし、ぼくがそれを伝えたいのなら、この写真の説明は「被写体の説明」でこと足りるとは思うけど、その視線で見ると、この風景は詰まらないと感じてしまいます。

人による自然破壊も、人から離れた客観的視点で見れば自然現象のひとつ。 そう考えれば、人の森を再生しようと試みる運動もまた自然現象のひとつ。 つまり、この「防鹿柵」も自然に生まれたものだと。 そんな視点で写真を撮ってみました。

これが上の写真の説明です。

それは「被写体の説明」ではなく「写真の説明」。
そんな「写真の説明」も、大切にした方がいいと思っています。

「アート」という言葉は優しいので、ついつい甘えてしまいます。 作り手が「これはアートだ!」と言い切れば、それはアートになるので。 そのことについては否定しないのですが、ぼくはそれだと詰まらないと感じてしまいます。

写真に限らず、多くのアート作品にはパワーがあります。抽象的になりがちな「現代アート」は特に。 受け手の心を動かすアートの力は、ときとして作り手の心をも動かしてしまう。 それも心地よいのですが、それに酔ってしまうと、それ以上のものは作れず。ただただ心が少し動くだけのアートを量産することに。 その先に繋がることもありません。

一次的な快楽を求めるのならそれでもよいのですが、世の中には「心の移動」がはじまるようアートがたくさんあります。 それを目指すのであれば、自分の作品の説明をきちんとできる必要があるかと。

なにより、そこを気にしながら写真を撮った方が楽しいと思ってます。

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カテゴリ: 写真 | 筆者: kenji  | 投稿日: 2018/02/26

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