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フィルムカメラを使っていたら「おじさん化」した

フィルム写真

上の写真は大阪駅で撮ったもの。

大阪に住んでいたとき、そこはやっぱり都会なので、電車に乗ることも多く、この大阪駅へも頻繁に訪れていました。 そこでいつも思うことは「撮りたいな」というもの。 でも、そんなことを思うときはいつだって時間が無かったり、そもそもカメラを持ってなかったり。

この日はそんなモヤモヤ感を払拭するために、写真を撮るためだけに大阪駅へ行きました。 そのとき撮った写真もお気に入りの一枚だったりするのです。

写真リンク: Station l 67 PHOTO


ほぼイメージ通りに撮れました。

ですので、レンズ選びから構図と露出の設定を決めるのも、どこか作業的に。 腑に落ちるポイントは必ずあると思っていたので、それを探すだけの単純作業。だからそれを見つけても、特に達成感も無く、ルーチン的にシャッターを押す。 それはとても予定調和な流れでした。

そんな撮り方は好きで、気にも入ってるのですが、逆に別の撮り方はできなくなってました。 街ですし、広角レンズですし、フィルムはモノクロですし。せっかくだからノーファインダーで、本当のスナップ的な写真も撮ろうと思っていたのですが、できませんでした。

慣れていないこともありますし、フィルムなのでワンショットの単価が高いこともあったのですが、それ以上に「何か」がシャッターボタンを押すぼくの指を硬直させます。 それはきっと「習慣」なんだと。思えば、撮った写真が増えると同時に、ぼくの中に積もったものは「丁寧に撮る」という習慣。 そんな染みついた「習慣」が、ノーファインダーでシャッターボタンを押させなかったのだと思います。

もちろん、その習慣が、「丁寧に撮る」ことが正義ということではなく、ノーファインダーのスナップ的な写真が悪というわけでもなく、 むしろ、撮影スタイルを固定してしまう「習慣」は悪とも思ってしまいます。

気が付けばノーファインダーで撮ることに「気持ち悪さ」も覚えてしまいました。

最近、手元にやってきた「GR2」。 コンパクトなデジカメです。性能に文句はありません。まだまだ使いこなせていませんし。 そんなカメラでノーファインダーの撮影も試みたのですが、やっぱり上手くいかず。 「気持ち悪さ」だけが残ってしまいました。

本来ならノーファインダーでも「丁寧に撮る」ことは出来ると思うのですが、ぼくのノーファインダーは上っ面だけのノーファインダー。 単に撮っただけの写真に。適当でも、楽に撮ったわけでもなく、できた写真は、ほんとにただの画像と思える始末。撮った自分でさえ「可」と思えない写真は、ほんとにダメだと。 それでも、偶然性や記録性はあるのだろうけど、それを求めた「博打撮り」な写真とも言えません。

時間をかけてゆっくり撮る「グラブショット」なスタイルは好きで、 ずっと通してきたのですが、気が付けば、本当のノーファインダーな「スナップショット」は出来なくなってました。 ファインダーで確認することが必須になり、それなしでは撮れない体になってしまったと。長い時間、ファインダーに甘えて過ごしてしまったというわけです。

写真をはじめた頃はノーファインダーでスナップしてたのに。まあ、あの頃はフィルムもワゴンセールとかで安く手に入れれてましたし。IS0200のフィルムは妙に安かったし。 ローソン現像はプリント付きで1本500円でしたし。

中判カメラに移行して、時代と共にフィルムと現像代は徐々に値上がりして、それと比例するようにぼくのシャッターボタンを押すまでの時間も長くなって。 そんな経過も良かったと思えるのですが、そう思うこと自体が「おじさん化」なのかと思ったりもします。

「変えられない習慣を美化してしまう」。

なんか悔しいので、GR2でスナップしまくってみたいと思います。

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カテゴリ: 写真 | 筆者: kenji  | 投稿日: 2018/01/21

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