上の写真は王子動物園で撮ったもの。
ある程度の大きさに成長するまで、亀の赤ちゃんは隔離されてる様子。
隔離用のボックスは目線の高さにあるのですが、アクリル越しの接写は難しく、少し手こずることに。
そんな写真も、お気に入りの一枚だったりするのです。
写真リンク:
Baby Tortoise l 67 PHOTO
亀の赤ちゃんはかわいいなと、そのボックスの前でカメラの露出やピントを調節していたのですが、手こずっていたら知らぬ間に人垣が出来てしまいました。
ただ、ぼくも良い場所を占有していたわけでもないので、ささっと撮影だけは済まさせてもらったのですが、 シャッターを押した後、こんな声が周りから聞こえてきました。
「撮ってもいいのか?」。
焦りました。撮影の注意書きの張り紙があったので、それを確認はしていたのですが、そんな声が聞こえたので、もう一度確認してしまいました。
その注意書きは「フラッシュ撮影はご遠慮ください」というもの。
撮影自体はOKだったのでホッとしていると、周りからも「撮ってもいいんだぁ〜」の声が聞こえてきました。
すると、そこにいた人、全員ではないのですが、ほとんどの人が赤ちゃん亀を撮りはじめる。
そんな場の雰囲気は、「撮らないといけない」というものだった気がします。
例えるなら無料で配られる号外。イベントで振る舞われる無料の料理。
それは「もらえるもの」なのですが、なぜか「もらわないといけないもの」と感じてしまいがち。
そして、この赤ちゃん亀も「撮ってもいいもの」なのですが、なんだか「撮らないといけないもの」になっていた気がします。
思えばこんな体験は他でもあるわけで。
それは奈良の「飛鳥寺」に訪れたとき。
お寺に安置されている御本尊は「飛鳥大仏」。
普通、お寺の中にある仏像は撮影不可なのですが、ここはOK。
そのことを住職さんが言うものだから、カメラを持っている人のほぼ100%が飛鳥大仏を撮っていきました。
樹氷で有名な蔵王でも同じような体験を。
山頂へは8人乗りのゴンドラで行くのですが、そのゴンドラの外には樹氷が乱立する景色が広がっています。
皆、「すごいねー」と声を上げて喜んでいるのですが、ぼくが写真を撮りはじめると、他の人も無言で撮りはじめました。
おそらく、写真を撮ってもいいことに気が付いたのかと。
結局、ほぼ全員が撮っていました。
今の時代、人は写真を撮ることに飢えているのかと。
もちろん被写体が良いことが前提ですが、それを撮ってもいいと分ると撮らずにはいられなくなる。
撮れるのに撮らないことは「損」であって「悪」なのかと。
これもデジタルが普及して、写真に興味の無い人でも「スマホ」というカメラを持ったことが、その要因かと。
逆に、「撮ってもいい」ことを前面に出せば、人は撮るためにそこへ訪れます。
函館の夜景、小樽の運河、美瑛の青い池。
そこでは写真に興味がある人はもちろんですが、普段、あまり写真を撮らない人でも撮ってしまう、撮らずにはいられなくなります。
むしろ、そんな空気間の体験を望んで多くの人が足を運んでいるのかと。
それが良いことなのか分りませんが、おそらく、「撮らないといけない」との深層心理で撮ったとしても、その満足感は高いと。
なにより、その移動も含めて全ての工程が楽しいことかと。
きっと写真は誰もが好きになるものと、そう思ってしまいます。
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