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写真におけるマナーと配慮の本質

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上の写真は、和歌山県の千畳敷で撮ったもの。

滑らかな砂岩の裏側は、ごつごつとした地層がむき出している崖でした。 ここも波により浸食され、その景観に写欲を刺激されます。 そして傾いた陽に照らされると、一層魅力的な被写体に。

そんな景観を収めた写真が、お気に入りの一枚となりました。

写真リンク: Stratum l 67 PHOTO

この「千畳敷」は人気の観光スポット。

そのため、この写真を撮ったときも周りには大勢の人がいました。 それにもかかわらず、写真に人が写っていないのは、フレームから人がいなくなったタイミングでシャッターを押したから。 そんなタイミングを狙っていたのですが、そこは人気の観光スポット。 待ち時間はかなりのものでした。

周りを散歩したり、カメラの設定を確認したり、別の場所を先に撮ったり。 そんなことをしてタイミングを狙っていたのですが、結局は少し妥協してシャッターを押してたりします。

そのため写真をよく見ると、奥にふたりの人影が見えています。

思えば、フレーム内に「人」が入っているときは、居なくなるまでシャッターのタイミングを待つことはよくあること。 「人」が写真を構成する大切な要素のときは、フレームの良い配置に人が収まるまで待つことはあるのですが、それは割かし短時間で済みます。

ですので、このときも長い時間を使ってフレームから「人」を排除するのではなく、「人」を写真の大切な要素として向かい入れた方が良いのかと。 ただ、「人」は写真の方向性を変えてしまう強い被写体。できれば、その方向転換はしたくなかったりします。

そんなわけで、シャッターのタイミングを待っていたのですが、その待ち方にも気を付けていました。

というのも、写真を撮ろうとしている人が醸し出す「待ってます!」というオーラが、ぼくは苦手。 「邪魔だ!」とか、「さっさと行け!」のような高圧的なオーラは、言うまでもなく苦手、というか嫌いなのですが、 「どうぞどうぞ」や、「すみません」的な、マナーの良いカメラマンが醸し出す、優しさや配慮から生まれるオーラも、嫌いではないものの、できれば感じたくなかったりします。

こちらも気を使うので。

ただ、ぼくもそんなオーラを出してしまうこともあり、邪魔にならないようにと、急ぎ足でその場を離れてくれる人も。 そんなとき、ぼくは申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまいます。相手に気を使わせてしまったので。

たしかに、譲り合うときのやりとりは気持ちいもので、「ありがとうございます」と「どういたしまして」のコミュニケーションはとりたくなるもの。 ただ、それも相手に気を使わしていることは事実。 マナーや優しさの本質が「相手に気を使わせない」ことならば、最初から譲り合うシチュエーションを回避しておくのもマナーのひとつだと思うのです。

例えば混んでいるバス。 座席が埋まっている車内に足の不自由な方が乗って来たとき、座席を譲った方はマナーも優しさも持ち合わせた人だと思います。 そして、「ありがとうございます」と「どういたしまして」のコミュニケーションをとれば、お互いが優しい気持ちになるるものかと。

一方で、足の不自由な方が乗って来るかもしれないと予測して、席が空いているにもかかわらず座らなかった方も、マナーと優しさを持ち合わせた人だと思うのです。

そう考えれば、写真で撮るタイミングを待っているとき、その「待ってます」というオーラを消すのも、マナーのひとつなのかと。 カメラから手を放し、腕組みでもして、明後日の方を向いておく。 そんな撮影の待ち方もあると思うのです。

めんどうな考え方かもしれませんが、これで一番に楽になれるのは相手ではなく、実は自分。

ただ、それがマナーと配慮の本質なのかと思ったりもしています。

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カテゴリ: 写真 | 筆者: kenji  | 投稿日: 2017/12/11

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