上の写真は、奈良の郷土料理「柿の葉寿司」を撮ったもの。
吉野の金峯山寺へ行った目的は「写真」だったのですが、この日は家族同伴。
そんなわけで、昼食は少しリッチにお店で頂いたわけです。
柿の葉寿司は、道の駅などで買ったものを食べたことはあったのですが、このお店で頂いた「柿の葉寿司」は、他で頂いたものより、一歩、秀でていました。
この写真は、その記念も込めて撮った一枚なわけです。
写真リンク:
Sushi l 67 PHOTO
お店の「料理」を撮る。
それも今ではどこでも見られる風景となりました。
スマホで、コンデジで、はたまた一眼レフで。お店で料理を撮ることも珍しくないかと。
その目的の多くは、facebookやtwitterなどのSNSに投稿するための撮影かと。自身のブログに載せるために撮ってる人も。
そんなお店での写真撮影ですが、マナー違反によるトラブルもあるかと思います。
ただ、そこには国で決めた法律や厳格なルールがあるわけでもないので、基本的には当事者の良識に委ねられている気がします。
ただ、人の考えや感じるところは千差万別。自身が良かれと思っていても、他人からしてみれば失礼極まりない行為だったりすることは多々。
ですので、お店の「料理」を撮るときのマナーは、深く深く考えても答えを見出すことはできないので、やはり自身の良識を信じつつ、真摯に他人の声に耳を向ける必要があるのかと。
要は、店主と周りのお客さんが不快にならなければ良いと思っています。
ですので、撮影の「断り」を入れればOkという単純なことでもなく、
店主に「断り」の声かけを聞いた時点で周りのお客さんが不快に思うこともあるわけですし。
逆に、明らかな撮影OKな雰囲気の中で、自分だけ「マナー違反」と声を上げるのは野暮ですし。
ただ、そんな一般的なマナーよりも、もっと大切にしたいことがあります。
それは料理に対する「真摯さ」とでも言いましょうか、出された料理に対して充分に思考することも、ぼくなりのマナーであって、大切にしたいことです。
それは単に料理を「味わう」と言う意味だけではなく、その料理の細部から創り手の想いを探したり、写真の被写体という「素材」としても向合う。
つまりは料理に対して何らかの感情を、「美味しい」や「不味い」等の感情を持つことを大切にしたいと思うのです。
それは当りまえのことかも知れませんが、「そのお店へ行った」という体験を得ることや、
「料理写真」というアイテムを手に入れることに目的を置いてしまうと、出された料理を味わう、向合うことは必要なくなってしまいます。
写真を「体験の記録の担保」くらいにしか考えていない人なら尚更。写真の被写体としてすら向合っていないのかと思ってしまいます。
たしかに、「料理を味わいたい」のではなく「その店に行った」という体験が欲しいときもあるのですが、
それでも料理人さんへの最低限のマナーとして、料理に対する「真摯さ」は忘れずに大切にしておきたい。
いくら周りのお客さんや店主に迷惑をかけていなくても、料理に対して無関心なことはマナー違反だと思うのです。
ただ、誰にも迷惑は掛けていないので、そんなマナーはどうでもいいことなのかも。
ただ、それを忘れてしまうと、一番に損をするのは自分自身だと。
キラキラした体験よりも、料理に対して関心を持って得られることは多くあります。
そう考えれば、マナーとは一種のライフハックなのかと、思ったりもします。
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