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「伝えたいもの」ではなく「素材」としての被写体

フィルム写真

上の写真は山形在住時に自宅近くの公園で撮ったもの。

雪深い冬の山形で、写欲を満たそうと近所の公園に行ったのですが、そこも深い雪に覆われてました。 もちろん遊具も雪に埋もれています。 そんな被写体を求めて公園に行ったのですが、気が付けば自分の後ろにも良い被写体が。

そんなわけで、足跡の写真が出来あがったわけです。

写真リンク: Footprint l 67 PHOTO

この足跡を「きれい」と思ったので写真に収めました。

ただ、その「きれい」の意味も、一般的な「きれい」とは少し違ったのかと。 それは、写真の被写体的に「良い」と言う意味での「きれい」。 ですので、この「きれい」は必ずしも、実際の見た目が「きれい」というわけではないと。 「良い写真」をつくれる被写体の「素材としてのポテンシャルが高い」と言う意味での「きれい」というわけです。

例えば、道に落ちている石や、公園の階段、壁の亀裂など。 個人の感性によるところが多いですが、一般的には「きれい」と思われないものでも、写真の被写体的には「良い」と思えるものは多くあります。

ただ、それを「きれい」と思えるには、それを写真の被写体として見ることが必須かと。 その被写体を、頭の中で「写真のイメージ」の中に落とし込んだ上で判断しないと、この「きれい」を感じることはできないのかと。 被写体という素材を、写真というパッケージングで「ひとつのコンテンツ」に昇華させないと、この「きれい」を感じることはできないと思うのです。

参考: 景色という作品を写真というパッケージングでコンテンツ化する

そして写真をやっている人は、職業病ならぬ「趣味病」的に、眼に入るすべてのものを「写真の素材」として見てしまうかと。 カメラを持っていないときでも、自然と被写体を探してしまいがち。すると、普段から「きれい」の判断基準は「被写体の良し悪し」になってしまうかと。

ぼくが使う「きれい」の意味は、「被写体としての良し悪し」。

きっと、ぼくにとっての被写体は、「伝えたいもの」ではなく写真をつくるための「素材」なのかと。 そのため、被写体を探す行為も、誰かに伝えたい「きれい」を探すのではなく、「良い写真」をつくれる素材としての「きれい」を探すことに。

ただ、そうして作られた写真の方が「良い写真」というわけでもなく、それは単に写真の作り方の違いかと。 ぼくは被写体を素材として接する方が楽しいと思っているので、そうしています。

ほんと、写真は考えるだけでも難しいです。

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カテゴリ: 写真 | 筆者: kenji  | 投稿日: 2017/12/10

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