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機能美というナチュラリズム

フィルム写真

上の写真は、北海道にあるJRの苗穂工場で撮ったもの。

年に一度の開放日に、息子とふたりで行って来ました。 来場者は多く、大きな一眼レフを持った方も多い鉄道イベント。 その敷地内には、ぼく好みの被写体が溢れていまして、フィルムは何枚あっても足りませんでした。

無機質で冷たい景色でありながらも、窓から射す淡い光で、どこかに暖かさも感じてしまう。 そんな中にある錆びや汚れも美しいと感じてしまいます。

「写真は引算」という言葉もありますが、全てが必要な「要素」と思えてしまう場所でした。

写真リンク: Factory l 67 PHOTO
参考: 苗穂工場はJR北海道の車両基地

そんな工場を「良い」と思ってしまう感情は、いわゆる「工場萌」と呼ばれるものかと。

「構造美」や「機能美」として世間に認識されているものは、決して「美」のために作られたものではないのに、なぜだかそこにも「美」を感じてしまうもの。 無駄を排除して効率を求めた結果の造形は、いわば「デザインの極み」。 それに対して人の脳は、副作用的に「美」を感じてしまうのかと。

「効率」を追求して深く深くデザインされたものに「美」を感じてしまうのは、ヒトの性質かと思うのです。

そして、それは自然を相手に感じるものと似ています。 自然風景に「美」を感じる人は多くいますが、あれも決して「美」のために創られたものではありません。

例えば、砂漠の創りだした「美」は、乾燥で細かく砕かれた砂が、風によって創られた独特の模様や丘の景色。 それは単に、その自然現象で目的無く生まれた、結果の産物。 そう考えれば、「美」を意識せずに作られたものに「美」を感じることは、なんら不思議なことでもなく、むしろ普通なことと思うのです。

そもそもヒトの活動も、大きく括れば目的のない自然現象。
その眼で見る景色に、「自然物」と「人工物」の差は無いのかと。

それらを区別することはヒトの「おごり」なのかと思ったりもしています。

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カテゴリ: 写真 | 筆者: kenji  | 投稿日: 2017/12/02

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