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写真はアートであってほしい

ひとり暮らしをはじめたとき、自然と減ったのはテレビの時間。

結局のところ、なにかと自由を制限されていた実家の「多人数暮らし」だと、テレビは重要な娯楽と成りえるのですが、 ひとり暮らしをはじめると、他にやれることが多くなるので、テレビをダラダラと見ている暇は無くなるのかと。

ただ、それで疎遠となったテレビも、子供が生まれると再びお世話になる機会が多くなりました。 なんだかんだ言ってもテレビは優秀で、こどもを大人しくさせる技術は他に敵なし。 「おかあさんといっしょ」をはじめ、「ぜんまいざむらい」「はなかっぱ」には本当に助けられました。

そして、ついつい大人も見入ってしまうのがこども番組。 キャラのかわいさだけではなく、話の内容にも没入してしまいます。 共感することも多いのですが、考えさせられることもしばしば。 中でも、世間一般での「アート」の在り方は、本当に考えさせられました。

やはり「アート」とは理解しにくく、一部の人にしか響かないものなのかと。

もちろんアニメの中での表現なので、それが世間を忠実に表しているわけではないと思うのですが、100%ではないにしろ、的は得ているのかと。 ぼくも写真をはじめる前は「アート」をそういう目で見ていましたし。 「アートは分らない」と主張すれば、共感してくれる人も多いので気持ちも良いですし。 そう考えれば、「アート」は「理解しにくいもの」ではなく、「理解できないもの」とした方が、ヒトとして都合が良いのかも知れません。

ただ、「アート」は本質的に「理解しにくいもの」でも「理解できないもの」でもなく、「心を動かすもの」かと。 アートの定義は色々とありますが、正直、腑に落ちない部分も多々あります。 それよりも、良し悪しではなく、なにかしらの心情を生ませることができるのが「アート」なのかと、ぼくは思っています。

ただ、「アート」ではなくても心が動くこともあります。 それはきっと「アート」ではないのかも知れません。 「心を動かす」という目的で作られた「薬」のようなものが「アート」で、その目的がなくても結果的にそうなってしまうものは、薬効のある「野草」のようなものかと。 いくら効果が強くても、その目的で作られていないものは「アート」ではなく、逆に効果が弱くてもその目的で作られたものは「アート」なのかと思っています。

そう考えると、写真は「アート」として成立しにくいものなのかも知れません。
その目的がなくても結果的にそうなってしまうことが多いから。

もちろん、「アート」の定義的にも成立しにくい部分が多いのが写真ですが、それ以上に、その「薬」と「薬草」の境界線があいまいなところも成立しにくい要因なのかと。 つまり、「意味」を込めて作られた写真と、「意味」を込めていない写真では、結果的に同じ「心を動かすもの」だとしても、少しの違いがあるかと。

「偶然」や「運」も、作った写真に後から「意味」を込めるのも、アートを作る上での方法のひとつだとは思いますが、仮にそうしなくても、ときに写真は人の心を動かしてしまいます。 そのような写真は誰でも撮れますし、インターネットの世界にも溢れています。 そんな今の時代に「写真はアート」と言われても。 そう考えれば、写真が世間から「アート」として認められづらいことも納得してしまいます。

ただ、写真は「アート」であってほしいと。 作り方や定義に関係なく、写真は「アート」を作るうえでのツールのひとつであってほしいと、ぼくは願っています。 自分の写真を「これはアートだ」と強く言うつもりはありませんが、触れている者として写真は「人の心を動かせられるツール」として存在していてほしいです。

「アートは誰も救わないが、今を変えようとする者の背中は押せる」。

そんな写真も、いつかは撮ってみたいと思ってたりもします。

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カテゴリ: 写真 | 筆者: kenji | 投稿日: 2017/07/05

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