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ヒトの「しあわせ」をフィルムの保存方法から考える

ヒトの寿命による死亡率は100%。

それは誰もが知っている情報であり、あまり考えたくないこと、かと。 「死」のにおいから遠ざかることで生き延びてきたご先祖様から受け継いだその性質は、ヒトが生きるために必要なものであり、生物としての普遍的な権利なのかも知れません。 そう考えれば、「知る権利」や「知らせる権利」と同等に、「知らない権利」もあると思うのです。

とはいっても、「限りある寿命」を前提として考える機会は、普段の生活上でも訪れます。 それは「人生設計」なんて大げさなものではなく、もっと身近なことでも。 そのひとつに「データの保存期間」があるのかも知れません。

大切なデータは永久保存しておきたいもの。 ですが、世界的に貴重なデータならまだしも、一個人の保有しているデータなんて永久に保存する価値の無いものばかり。 ですので、実際は自分の寿命年数分だけ保存できればいいのです。

ただ、そこまでドライに考えられるほど、ヒトは強くはないのかも知れません。自分の死と向き合うだけで心は弱ります。 そう考えれば、無駄と思える永久保存も、その文脈では意味のあることなのかと。 偽りでも、それにうっすらと気付いていたとしても、永久保存を望むことは長生きの秘訣なのかも知れません。

写真用のフィルムも技術革新のため、保存状態が良ければ永久保存は可能です。 以前の、セルロース・フィルムやトアセテート・フィルムは劣化が激しく、永久保存も難しかったのですが、 今の主流となっているポリエステル・フィルムは割と現実的な環境で永久保存ができるようになったみたいです。

それでは、「写真のマスターデータであるフィルムは永久保存した方が良い」と考えたいところですが、必ずしもそれが最良とも思えません。 言ってみれば、データの永久保存も「将来のため」なことですが、結局のところ、「将来のため」に動くことは「今現在の心の安定のため」のもの。 そう考えれば、「マスターデータを将来も使えることの安心」と同等に、劣化を覚悟で部屋に飾り、「今を楽しむ」こともありだと思うのです。

つまり、ポジの原板を永久保存するのも、飾るのも、その意味では同じことなのかと。

どちらにせよ、今のしあわせに繋がるので、フィルムで写真を撮っててよかったです。

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カテゴリ: 写真 | 筆者: kenji | 投稿日: 2017/03/10

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