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「プロの定義」が腑に落ちない

生物

プロフェッショナルな方には憧れます。

やはり趣味の領域で遊んでるアマチュアと、ある種の責任を抱えているプロフェッショナルな方では、それに取組む姿勢といいますか「覚悟」が違うかと。 そんな「覚悟」を持つプロフェッショナルな方には、憧れますし、尊敬の念も覚えます。出来れば成りたいなとも。

そこで、「プロフェッショナルになるにはどうしたらいいか?」と考えるのですが、「覚悟を持つ」のような抽象的な「プロの定義」では分かりにくかったりします。 そこは現実的な定義が欲しい。ただ、世間一般にある「プロの定義」では何か腑に落ちないことも。 つまり、憧れるプロの姿と、実際の「プロの定義」を満たしたプロの姿、そのの間には少し差があると、そう思ってしまいます。

「それでご飯を食べている」というプロの定義も腑に落ちません。

たしかにそれを職業にしていればプロフェッショナルだとは思うのですが、特にこだわりもなく、サラリーマン的に働いているプロな方も大勢いる。 例えば、「お総菜」を作る工場の生産ラインで、誰かに決められた工程を、淡々と繰返し作る人。 その人も料理のプロといえばそうなのですが、成りたく、憧れるプロの姿とは少し違います。

もちろん、「そうした人はプロではない」というわけでもなく、それも立派なプロフェッショナルだとは思うのですが、 やはり憧れるプロの姿は、料理の場合ですと、日々試行錯誤して料理を作っている人。 ですので、憧れるプロの姿を想像したとき、「それでご飯を食べている」というプロの定義では腑に落ちないというわけです。

それでは、サラリーマンではなく、フリーランスな方が「憧れるプロの姿」に近いかというと、そうでもなく。 たしかにサラリーマンではない、フリーで活躍されているプロフェッショナルな人に憧れることは多いのですが、 中には「それ」に対して強い情熱もなくとも、「稼ぐ力」が強いフリーランスな方も存在します。

稼ぐ仕組みを理解して攻略できる人、構築できる人、そんな人は対象に強い情熱を持っていなかったとしても、稼げてしまうものかと。 そんな人には別な意味で憧れてしまいますが、やはり「憧れるプロの姿」ではないと。 ですので、「1円でも稼げれば...」というプロの定義も腑に落ちないというわけです。

「自己満足ではなく、相手の注文に応じれる」という定義もありますが、それも腑に落ちません。

たしかに相手を満足させられるスキルは、プロフェッショナルの必要最低限なスキルだとは思うのですが、憧れるプロの姿は、いつも相手を未知な部分に導く存在。 そこに相手の注文はありません。 広義の意味での「注文」には答えているとは思うのですが、 狭義の意味での「注文に応じられる」というスキルを、あえて使わない人の方が、憧れますし尊敬もしてしまいます。

結局のところ、憧れているのは「プロフェッショナル」なことではなく、それを構築している部分なのかと。 そう考えれば、一般的な「プロの定義」が腑に落ちないことにも納得できてしまいます。

憧れているプロの姿は、その人の芯の強さや情熱、高いスキルや深い経験、それに取組む姿勢と覚悟。 そして、それらから得られる「人からの信頼」や「社会的地位」なのかと。

結果的に、それらを持っている人は「プロフェッショナル」なことが多いだけで、憧れの対象がイコール「プロフェッショナル」とは限らない。 そう考えれば、憧れるプロフェッショナル像になりたいとき、 単に「それでご飯を食べている」や「1円でも稼げれば...」、「自己満足ではなく相手の注文に応じれる」を目指しても仕方がないのかと。 それよりも自分の「なりたい姿」をしっかりと見定める必要があるのかと。

憧れるプロフェッショナルになるには、本当に大変だと思います。

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カテゴリ: 雑記 | 筆者: kenji  | 投稿日: 2017/12/28

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