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学びの本質

生物

クラスに1人はいた「やたらと理系の教科だけは点数の良い人」。

そんな人に共通しているのは、基本的に勉強が苦手で、授業も真面目に受けておらず、ノートの取り方も下手くそ。 テスト勉強はするのですが、その方法は教科書を読み返すだけ。 ですので、テストの点数は基本的に悪いのですが、なぜか理系の教科だけは、そんな勉強方法でも良い点数を取っていたりします。

その人にとっての理系の教科は、本当に好きなもので、学校で学ぶ「教科」以上の存在なのかと思ってしまいます。 それは娯楽に近く、きっと頭の中での存在位地は、他の教科と一緒に並んでいるのではなく、ドラマや映画、マンガやゲームの情報と同列に並んでいる気がします。

机に向かって何かを覚えたり、頭をひねってそれを理解しようとしなくても、先生の話を聞いたり教科書を読むだけで、望んでもいないのに覚えたり理解もしてしまう。 そんな「学び」は、好奇心や探求心から来る生理欲求を、ただただ満たすための行動なので、特に目的は無く、何かのための「手段」でもないのかと。 しいて言うならば、「学ぶこと」自体が目的なのかと思います。

考えてみれば、学校の教科に限らず、「学び」を何かしら目的を達成するための「手段」と捉えてしまうことが多いです。 また、目的が無くても、それを活用させようとも考えてしまいます。 たしかに「学び」は目的を達成するための手段として必須となることが多いですし、目的のために「学ぶ」ことは大切だと思います。 また、手に入れた「学び」は、活用させてはじめて意味をなすこともあるかと。

ただ、役に立たない娯楽的な消費の「学び」も、立派な「学び」のひとつだと思うのです。

考えてみれば、学生の頃から「学び」を役に立つかどうかの目線で捉えることが多かったです。 役に立たない教科は学ぶ必要が無いと。 将来の役に立つものだけを学ぼうとしていました。

ただ、それでは少し詰まらない。

学校の教科に限らず、好きなものを学んで、それが何かの役に立ったらいいなと。 無理に役に立たせる必要もないと。「へぇー」で終わらせともいいと。 それくらいの気持ちで学んだ方が、心は豊かになれると思います。 結局のところ、「学び」とは、単にヒトの欲求を埋めるパーツのひとつなのかも知れません。

そう考えれば、役に立たない娯楽的な消費の「学び」も、意味のある大切な行動だと思うのです。

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カテゴリ: 雑記 | 筆者: kenji  | 投稿日: 2017/04/13

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