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「恵方巻の大量廃棄問題の本質」から学ぶ一次生産者が追求すべきもの

原木しいたけ

先日、東京のデパートを巡ってきました。

出張で上京したのですが、空き時間を使って東京で売られている「原木しいたけ」を見たかったわけです。 日本橋三越、日本橋高島屋、新宿伊勢丹、などなど。時間に追われながら早歩きで巡ったので足はパンパン。 久しぶりによく歩きました。

もともと、デパートの食品売り場は好きなので、「原木しいたけ」を見つけるというミッションも楽しく、苦があったとしたら、それは食欲を我慢することくらい。 お総菜コーナーも全て周ったのですが、当初の目的も忘れるくらい見回ってしまいました。

ただ、この日は節分。 売場では「恵方巻」が多く売られていました。 長い行列が出来るほどの大盛況で、ぼく的にはあまり興味のなかった「恵方巻」なのですが、そこでのそれは気になる存在に。 ちょっと覗いてみると、たしかに食べたくなるものでした。

椎茸

世間では、「恵方巻の大量廃棄」が問題になっています。

最初の頃は、その食べ方ルールの珍しさから一躍ブームとなった「恵方巻」。 決まった方角を向き、無言で食べつくす、そうすることで縁起をかつげる。 コンビニのマーケティングからはじまったブームですが、数年も経つと珍しさにも慣れてしまい、残ったのはめんどくさい「義務感」だけ。 そうして「恵方巻」ブームは終わりはじめたのかと。

一方で、ぼくの見たデパートの「恵方巻」は大盛況。 そこだけだったのかもしれませんが、たしかに熱狂はありました。 ただ、そこのお客さんを見ていると、「義務感」だけで「恵方巻」を求めているようには見えず。 ただただ「良いもの」を求めているだけに見えました。

つまるところ、食べものは美味しくなくてはいけないと。

たしかに、行事食としての「食べ方」や「風習」といった背景も、食べものの魅力のひとつだとは思うのですが、それも「美味しさ」があってこそのもの。 逆に、「美味しさ」があれば「義務感」を感じることもなく、季節を感じられる行事食として心待ちする存在に。なんなら「食べ方」や「風習」は忘れてもいいのかと。

現に、ぼくが「見つけられなかっただけ」かもしれませんが、「今年の方向」や「背景」のポップは見受けられず。 ただただ、おいしそうな「恵方巻」が売られていました。

「恵方巻」の具材も、本当は7種類の縁起をかつぐものと決まった入るらしいのですが、そこでの「恵方巻」はエビフライやローストビーフが入っているものも。 食べやすくするためか、具材は7種類以下にも見えました。

そんなアレンジは行事食の伝統を壊すものかもしれませんが、逆にそこら辺に日本的なものを感じてしまいます。

「うまけりゃいいや」と。

きのこ

「美味しさ」という食べものの本質的な価値ではなく、そのものの背景で売りだしても、ブームは作れてもカルチャーにはなりにくい。 ただ、本質でブームを作るのも難しい。

結局、両方を上手く使い、つまり主力とする要素の切換えのタイミングが大切なのかと。 そして、「恵方巻」は今がその切り替えのタイミングと思うのです。

そう考えれば、ぼくら一次生産者は、強い「背景」があったとしても、それをどこかで手放し「美味しさ」で勝負するときが必ず来ると。

そのためにも「美味しさ」の追求は大切だと思ったわけです。

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カテゴリ: とかち暮らし | 筆者: kenji  | 投稿日: 2018/02/07

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