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地方と都会の演者と消費者

子供たちの願いも届かず天気は雨。

その日は幼稚園の運動会の日なのですが、朝から雨が降っていました。 それでは園庭の広いグランドを使うことも出来ません。 というわけで、予定されていた運動会は小学校の体育館での開催となりました。

規模の小さい幼稚園の運動会ということで、そのスケジュールも午前中で終わるのですが、その項目はみっちり。 園児の演目が多いのはもちろんのこと、父兄や来賓の方が参加できる演目が多い印象。それも地方の運動会の特色かと思えます。 そして、小学校の運動会もそうでしたが、幼稚園の運動会でも「借りもの競争」が鉄板の人気演目のようでした。

お題は「モノ」よりも「○○な人」という人物系が多かったです。 そして、園児は少ないので観客数も少ない。お題に答えられる人も少ない。 そのため、観客ひとり1人の課せられた役割の比率が多く、自分の「参加してる感」も多くなります。

これは、「借りもの競争」に限らず他の演目にもいえることかと思えます。 徒競走や玉入れ等々でも、観客だけではなく、競技に参加する親御さんや来賓の方はもちろんのこと、運動会の主人公である園児も「参加してる感」を強く感じているのかも知れません。 そこら辺の感じ方が、大規模な運動会にはない、地方の小規模な運動会の特色なんだと思います。

たしかに、大規模な運動会でも「参加してる感」を得られますし、実際に参加すれば「参加している」のは事実。 ですが、全体数の多い中での「ひとり」は、その役割も存在感も薄くなり、「参加者」というよりは「消費者」になるのかも知れません。 一方、全体数の少ない中での「ひとり」は、その役割や存在感も自然と濃くなります。 そうなると、「参加者」というよりは「演者」に近い存在になるのかも知れません。

「演者」とは、いってみれば「生産」する側の人間。

そう考えれば、地方の小規模な運動会に「参加する」ということは「創り手になる」ということで、 逆に都会の大規模な運動会に「参加する」ということは「受け手になる」ことなのかも知れません。

そして、それは運動会に限ったことではないのかと。

全てではありませんが、都会での生活は、自分以外の「ヒト」も多く、便利なサービスも多いので、「演者」になる必要もなく、基本的には「消費者」。 地方での生活は、その逆。 そして、その「良し悪し」は個人によって違うもの。

そう考えれば、それが都会と地方のそれぞれの「楽しさ」や「住みやすさ」であり、同時に「詰まらなさ」や「煩わしさ」なのかと思ってしまいます。

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カテゴリ: とかち暮らし | 筆者: kenji | 投稿日: 2016/06/26

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